■上川崎への空襲
アメリカ軍が、民間人の住む地域への空襲を行ったことは有名です。
(戦勝国によるリンチ裁判である極東裁判で、もしアメリカが裁かれれば、「人道に対する罪」にあたりますね。)
今でさえ、のどかな上川崎へ、アメリカ軍の空襲がありました。2回。
それは、夜でした。
「しゅーしゅー」という音。
無数に降り注ぐ焼夷弾。無差別絨毯爆撃です。
爆弾で、外は真昼のように明るくなったそうです。
人々は、防空壕に逃げました。(上川崎は、山間にあるため、どの家庭でも、自分のうちの山に防空壕をつくっていたそうです)
しかし、奇跡的にも、この空襲で亡くなった方は、いなかったそうです。
それは、2度とも、雨が降っていたために、爆撃機が、低空飛行したため、焼夷弾が爆発するだけの高さがなかった。(山間の土地だったため、斜めに着弾したために、余計に爆発しなかったのでは、とのことだった。)
ただ、爆撃後、不発弾で遊んでいた子供が、やけどをおったことがあったそうです。
降り注いだ不発弾は、軍が回収に来たそうです。
爆撃について、アメリカの情報収集が優れていたことに驚きます。
爆撃機は、紙を漉いている上川崎のみ、きれいに爆撃して行ったそうです。
阿武隈川の東側だけ、きれいに。
当時、国からの説明は、
「福島市のあるあたりと、阿武隈川の流れ(曲がり加減)が似ているので、間違って爆撃されたのだ」
というものだったそうです。
大伯父は、
「紙を漉いたせいで爆撃された、と言ったら、みんな怖くなって辞めてしまうから、ふせておいたんだろうなあ」
と言っていました。
実際、紙を漉いているせいで爆撃された、というのは、戦後になってしらされたそうです。
爆撃は、幸運にも、2回で済みました。
「2回もやって失敗したから、懲りたのかな?」
と言ったら、おじさんはあいまいな笑みを浮かべ、
「…そのうち、戦争終わったから…」
と言っていました。
2度の空襲からも生き残った上川崎の和紙が、平和な現在、ほとんど絶滅の危機にある、というのは、とても皮肉な、悲しいことです。