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結城廃寺

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結城廃寺

結城市大字上山川38
西暦700年代前半,奈良時代に建立され,室町時代中頃まで700年間存続した寺院で,昭和63年からの発掘調査により,金堂跡や塔跡など伽藍と呼ばれる主な建物跡が見つかった。その建物(伽藍)の配置が「発起寺式伽藍配置」と呼ばれるものであることや,寺の周りに掘られた溝跡から寺の大きさが南北250m,東西180m,面積45,000?もの大寺院である事がわかり,当時の国分寺に匹敵する大きさであった。
また,専仏(せんぶつ)や舎利孔の石蓋,垂木瓦など東国にあって極めて関西色の強い出土品などから仏教の東国伝播を知る上で大変貴重なものであるとされる。
このようなことから,本年国指定の重要文化財史跡の指定を受けた。
また,「法成寺(ほうじょうじ)」と刻まれた瓦片が出土したことにより,当時の寺院名が確認されるとともに,『将門記(しょうもんき)』に記された「法城寺」にあたる寺であると考えられている。 
結城廃寺跡は,出土遺物などからもわかるように,古代東国にあって,極めて畿内的な特徴をもっており,仏教文化の東国への伝播と発展を考えるうえで重要な遺跡である。

http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/kikaku/chikei/chiikishigen/kensei/?ö?\?p/???é?s.xls

結城廃寺跡附(ゆうきはいじあとつけたり)
結城八幡瓦窯跡(ゆうきはちまんかわらがまあと )

国指定文化財 史跡
指定年月日 平成14年9月20日
結城市大字上山川字古屋敷乙31番ほか
結城八幡瓦窯跡は,結城廃寺の創建時の瓦を供給した窯跡で,現在3基の窯跡が確認されている。ここで生産された瓦類は,近接する下野薬師寺跡(しもつけやくしじあと)(栃木県河内郡南河内町)との関連があり,古代の瓦生産の実態を知るうえで重要に遺跡であり,結城廃寺跡とともに指定された。
http://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/bunkazai/kuni/shiseki/12-24/12-24.htm

和尚塚山

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先日、slou cafeに行きましたが、その向かい側にある、こんもりした山。
地図で見たら、「和尚塚山」となっているではありませんか。
墓地マークついてるし
古墳?というわけで、ついでにちょっと見てきました。

今までこの前を何十回も通過してたと思うのですが、全く気づかなかった。
こう見ると、ただの築山のようですが…




豪快に割れております。
お墓?

割れていて何も分かりませんがな。

台座は近年のものっぽい。

「年六月建之」

って、肝心の年が分かりません。

以下、広報結城2003年8月号より。

市指定文化財 和尚塚

種類  :史 跡
年代  :古墳時代
指定年月:昭和四二年二月九日
管理者 :華蔵寺 (結城市大字結城670

公達に残された和尚塚は、以前は円墳と考えられていましたが、平成二年に県道結城野 田線バイパス工事に伴う発掘調査の結果、方墳であることが分かりました。大きさは東西 二一・七メートル、南北二四・八メートル、高さは五・八メートルですが、現在は墳丘の 裾の部分は削られているため、本来は一辺が二九メートル以上あったと考えられます。ま た発掘調査では、古墳の周溝が方形に巡らされていることも確認されました。

 しかし、死者を埋葬した主体部は、未調査のため詳しいことは分かっていません。かつて大形の石棺が破壊され、円筒埴輪(土管型の埴輪)が出土したと伝えられていますが、調査では確認されませんでした。

 本市の古墳は二七基が知られていますが、その形は円墳または前方後円墳であ り、方墳は和尚塚だけです。さらに、古墳の分布を見ると、東側の田川・鬼怒川 流域に一九基と圧倒的に多く、西側の西仁連川流域にも四基造られるなど、東西 の河川流域に造られることが多いのが特徴です。したがって市の中央部分に造ら れた和尚塚は、この南方約八〇〇メートルの城南小学校内にのこされた天神山塚 古墳(前方後円墳)とともに、めずらしい例といえます。


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