プリンシプルのない日本

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プリンシプルのない日本
プリンシプルのない日本
プリンシプルのない日本」(プリンシプルはなんと訳してよいか知らない。原則とでもいうのか)を読んだ。

戦後すぐに書かれた文章が主。

が、書かれている事は、わらってしまうぐらいに、現代の日本にも通じる。

吉田茂、重光葵など、終戦前後に活躍した人物についても、面白いエピソードがある。
日本の近現代史に困っている受験生も読んでみるといいかもしれない。

ひとつだけ、皇室についての認識についてのみ、認識が甘いかもしれない。
女性天皇はともかく、女系天皇は認められない。
それは、日本という国体の終わりを意味するから。
地理的「日本」は存続するが、文化としての「日本」は皇室が途絶えたり、女系に変わった時、そこで終わります。
分かりやすい言葉を使えば、日本は神話から続く「王朝」(世界の王朝の始まりは、全て神話である)を持つ、世界で唯一の国であり、超々々々々世界文化遺産というべき存在です。
※この辺のことを知りたい人には、渡部昇一氏の監修になる漫画「皇室入門」をお勧め。


以下、抜粋メモ。

彼らにとって、イデオロギーというものは単なる道具なのだ、自分じゃ思想だと思ってる。だからはっきり言えば、彼らには思想だないのだ。その結果、例えば論争が展開された場合に、その論争というものが、両方の人がもっている所謂イデオロギーから出た論争なのである。だからいつでも感情問題になって、喧嘩になってしまう。

発電所を建設して出来た電気はみんな大都会に持っていく、地元は先祖代々共に暮らしてきた水を利用しておこした電気であるに拘らず何の恩恵にも浴さない。(1952年)

終戦直後、私が終戦連絡(中央)事務局に居たときの印象のひとつで、今でも頭に残っていることがある。それは一番平気で米軍側に立ち向かったのは、昔の内務省出身の役人に多かったこと。一番びくびくして米軍側に追従したのは外務省出身の役人に多かったことである。一寸不思議なことの様に思えて今でも強く印象に残っている。(1952年)

大体この追放も、占領政策の大失敗のひとつであると思う。戦犯裁判が失敗の度を越えて20世紀の歴史の汚点の一頁だと思うと同様に。(中略)元来マッカーサーが言明していたように、追放は懲罰的の性質のもではなく、国民にこういう指導者群に二度と騙されるなと教えるためにしたらしい。しかるに米国は新木大使を迎え、英国は松本大使が赴任したではないか。両者共に追放解除者であって「国民をまどわした好ましからざる人物」と連合軍側が指定した人たちである。御両人とも、実に立派な人格者であることを付言しておく。(1952年)

この新憲法なるものの原案は確かな筋によると、終戦以前において既に米国側で占領中総司令部民政部で、色々と話題をまいたケーディス氏一派によって起草されていたものらしい。言葉を換えれば、これは米語翻訳憲法であることは周知の事実である。
(中略)
この憲法の翻訳に間違ったところは数箇所あると思うが、私のような法律学知識の皆無のものでも気の付く箇所が二つある。又この二つは
不幸にして重大なるものでもある。
ひとつは内閣の首班は国会議員でなくてはならないというくだり、(中略)もうひとつは内閣の構成員は過半数は国会議員でなくてはならぬという処。
(中略)
憲法改正のときにこの二点の「国会議員」とあるのを「衆議院議員」と訂正して貰いたい。
大体この新憲法は、敗戦後将来の日本の政治体制のあり方の根本を、連合国側が制定したものだと思う。この新憲法の根本は結構なことだと考える、然し独立回復後の日本に於いては、本当に「我々日本人」によって憲法を制定すべきではあるまいか。(1952年)

憲法改正の焦点は再軍備の問題になると思う。(中略)
この再軍備の問題に就いては、先ず再軍備が可か不可かを論ずる前に、国民に次のことをはっきり説明して、納得さす必要があると考える。
一、新憲法制定当時の米国の対ソの見通しは、日本に関する限り間違っていたこと。
二、共産陣営の内外よりする侵略の可能性が、日々増大しつつあうrこと。
三、日本が自衛能力を持つまでは、米軍が駐屯せざるを得ないこと。
四、外国軍隊が時刻に駐屯することは、愉快なことではないから、自分の国の軍隊のほうが外国の軍隊よりもいくらかましなこと。(1952年)

私の一番不愉快に思うのは国民の税金でやっている役所が、これまた国民の税金でやっている役所を、国民の税金を使って「ご接待」するとは、何事だということだ。(1953年)

私は原則的には補助金制度など大反対だ。今、補助金、補助金と叫びだしている御連中にしても、何ヘン景気とか何とか言って金が儲かって仕様がなかったときには、税金以上のものを国家に自発的に納入する意思があったろうか。(中略)
これは少し乱暴に聞こえるかもしれぬが、率直に言うと、補助金がなければやっていけぬような産業は此の際思い切って止めるのがいい。(中略)
私に言わせると補助金制度よりもっと悪質なのは、政府がある民間の破産して回復の見込の立たない事業を救済するために、予算で巨額の金をとって国策会社式のものを作り、その新会社をしてその破産会社を吸収さすことである。(1953年)

石炭のような大資本家の割拠する事業は困ってくるといつでも政府が何とかしてくれる。日本の産業の本当の中核をなす中小企業はどんなに困っても何もしてくれない。これで国民の思想の悪化でも憂えていたら世話はない。(1954年)

革新連中のいうように安保を放棄して、国際協定下において無防備の国家の存在の可能性を少しでも認める連中は、スイスに行って、スイス人に聞いてみるがよい。永年永世中立を守り、内外共にその中立制の実績が厳然たる事実であるスイスにおいて、どれだけの予算を割いて国家の防備に当たっているかを。(中略)
なぜもっと具体的に数字で、というより自分で防備をやったらいくら税金が増えると国民に説明しないのか。税金が増えて、我々の生活が今よりぐっと苦しくなっても、なお外国の軍隊を国内に駐留さすよりもいいというのが国民の総意なら、安保など解消すべし。安保の賛成派も反対派も、ヒステリー女の喧嘩みたいな議論は止めるべしと私は思う。(1969年)

原文に天皇は国家のシンボルであると書いてあった。翻訳官の一人に(この方は少々上方弁であったが)「シンボルって何というのや」と聞かれたから、私が彼の側にあった英和辞典を引いて、この字引には「象徴」と書いてある、と言ったのが現在の憲法に「象徴」という字が使ってある所以である。(1969年)

たとえば政府与党が過半数を制している議会においては、政府与党の提出する法案が通過成立するのは当たり前であると言うことを認めないのか。(中略)法案成立を阻止するために審議の引き延ばし戦術を採用するとか、採決をおくらすために、牛歩戦術とかさみだれ戦術とかいう日本発明のやり方を採用すると言うような、「非合法」なことが堂々と国会内で横行したり、それをさも普通のことのように報道しているマスコミの良識を疑いたくなるのは、私だけか。政府与党がよからぬことをたくらんでいるのならそういう政党、または間接にその政府を選出した国民の不明である。(中略)
「実力阻止」こそ横暴であり暴力であり横車であるのです。
反対党がその法案をそんなに嫌なのなら、この次の総選挙に勝って絶対多数を制して自民党内閣を叩きつぶしてその法案を廃止すればよいのです。(1969年)

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